1月28日土曜日

継続は力なりとはよく言ったものである。継続は力にはなるが結果には成らない。結果は自分自身のセンスと努力などを併せ持ちうまく組み合わせた結果としてついてくるものであると考える。

 

継続というのは小さな成功体験を自分自身の中に生み出して明日への原動力にするためのものではないだろうか。明日への原動力にするために僕もこのブログを書いている。

 

こんな言葉がある。一万時間やればどんなことでもその道で世界を狙えるみたいなそんな感じのことだ。簡単にいうが一万時間というのはとてつもない数字である。1日30分継続してやろうと思えば一万時間は50年ほどかかるらしい。そんなことまでして一つのことを続け、世界を狙おうとは思わない。一日一時間したとしても25年、人間の忍耐力の限界を超えてしまっていると思われる。20歳であれば45歳までは努力の日々ということになる。9割以上継続することは不可能だ。

 

それでも僕は少しでも継続をして自分の力になればと思いこのブログを書いている。自己満足ではあるが、少しでも自分自身の文章力やタイピング力を向上させることができれば嬉しいなくらいだ。

 

 

日記を後から読むのは楽しい。写真でもそうである。今日飲みに連れて行ってくれた先輩が3年前の写真を熱心に見せてくれた。正直僕自身とは関係が皆無な写真なので、笑い自体はたくさん起きることは無かったが、先輩が嬉しそうに見せてくる姿がとても微笑ましかった。僕は写真を自分自身多く撮る方ではないので、3年前の写真などは別の携帯に入って何処かへ行ってしまった。羨ましい。

 

人を羨ましいと思うのは自分が日々を充実して生きていないから感じることなのではないだろうか。一日をゴロゴロして過ごし、中身のないまま夜になった時になんとなく夜更かしがしたくなるというアレと似ている。一日が充実させきれていないので、夜に取り返そうと深層心理で思っているらしい。自分の日常が充実していないから人の人生が羨ましく思い、息子や娘に自分の夢を託しことになる。その人の人生はその人のものであり、自分の人生は自分のものである。誰にも邪魔はさせたくなく、自分の思うようの生きていたい。

 

人が感じるものというのを文章で表すのは難しい。だからこそ自分の感情を相手に伝えることはもっと難しい。嬉し泣きをしたら嬉しいのに泣いているから他の人から見ると悲しんでいるみたいに移るのと同じだ。人生面倒臭いものである。

 

人と接するのが面倒だ。何を話していいかわからない。コミュ障というわけではない。こんな意味のわからない文章を延々と書いているわけだが、関西人ということもあり面白い話には自信がある。トーク力は並以上であり、周りの友達も並以上と言ったところだ、顔面偏差値的に。

 

今日思うのはこんな感じかな。感情は無尽蔵のように湧き出て全てを書き記すことはできない。自分の全てをわかってくれる人がいるのであれば、どんな手を使ってでも友達になりたいものである。